属する集団から疎外されても、なお愛する

映画「ハクソー・リッジ(原題:Hacksaw Ridge)」を観た。

この映画は2016年のアメリカ映画で、第2次世界大戦の沖縄戦を描いた映画であるといえる。

物語の前半は、主人公デスモンド・ドスの戦争までのアメリカでの暮らしと、軍隊の訓練の様子を描き、映画の後半では沖縄戦を描いている。

この映画の背景にあるのは、第2次世界大戦であり、第2次世界大戦といえば世界が連合国側と枢軸国側にわかれて戦った戦争である。この映画でいえば、連合国側はアメリカ合衆国で、枢軸国側は日本である。

1939年からこの映画で描かれている1945年まで、日独伊三国同盟を中心とする枢軸国側と、イギリス、ソ連アメリカ、中華民国などからなる連合国側との間では、激しい戦闘が行われていた。

その戦争にデスモンド・ドスはCO(良心的兵役拒否者)として参加した。COとアメリカ軍は表現しているが、ドス本人の映画中での言い分では良心的協力者である。

ではアメリカ軍がいうところのCO(良心的兵役拒否者)、ドスがいうところの良心的協力者とは一体何のことなのか?

映画中ドスは軍隊の訓練の段階から銃の使用を拒否する。ドスはいう。「銃には触れることができません」。

この態度が原因でドスは軍隊でいじめにあう。そして軍法会議にかけられる。そう、良心的兵役拒否者は、人を殺すことを拒否して実際の戦闘を避ける人たちのことである。ドスの場合は戦争は人殺しのことだとわかっているが、周りの若者が兵隊として戦い命を落とすのは無視できない。だから命を救うことだけしようというのである。

「私は戦争は人殺しだから反対です。だから戦争には参加しません」ではなく、「戦争は人殺しだし最悪だけれども、そこで死んでいく人々を見殺しにはできません」というのがドスの態度である。

ドスはこの願いを胸に、戦場で75人もの人の命を救った。第2次世界大戦は、軍部と民衆の熱狂が一体となって進んでいったものだといわれている。

第2次世界大戦といわれてすぐに思い付くのは、ナチス・ドイツとその総統だったヒトラーのことだろう。ナチス・ドイツのような在り方を全体主義と呼ぶ。どのように全体主義がなりたっていったかには、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」のように複雑な要因が重なって生じてきたものであると述べてあるようなものもある。

現実は単純ではない。複雑にいりくんだ状況が全体主義を形作っていたのだろう。

全体主義を作り出す方法の中に、人々を孤立させるやり方というのがある。それはこのドスの立場とは真逆のものである。自分の属する集団から暴力を受けても、周囲の人々を求め続けたドスの姿には心打たれるものがある。