階級社会は運命を作り出す?

映画「T2 トレインスポッティング(原題:T2 Trainspotting)」を観た。

この映画は2017年のイギリス映画で、1996年製作の「トレインスポッティング(原題:Trainspotting)」の続編の映画である。

前作トレインスポッティングでは、今作と同じエディンバラで、若者たちが過ごすドラッグ・カルチャーやクラブや金をめぐる物語について描かれていたが、今作では、そんな騒動を繰り広げていた若者たちが中年になって一体どんな生活を送っているかが描かれている。

前作から今作への変化はあまりないというのがこの映画を観終わった後の感想である。20年たっても彼らは、青春時代の人間関係をひきずっており、ベグビーという恐い先輩におびえるマーク・レントンとサイモンとスパッドという図式は変わっていない。

この映画の中で登場人物たちはそれぞれ問題を抱えているが、この中で一番苦難に満ちた人生を過ごしているのはバグビーである。

バグビーの父親は酒浸りのホームレスで、バグビー自身学がなく、すぐ頭に血が上る暴力男である。バグビーはこの映画の中の悪役である。

前作で、マークとサイモンとスパッドとバグビーは麻薬を売って1万6000ポンド手に入れる。その金のほとんどをマークが持ち逃げする。

前作は、マークがバグビーやイギリスの階級社会から脱出するところで終わったが、今作はその続きである。

今作は刑務所の中でマークへの恨みを持ち続けるバグビーの復讐劇とみることができる。

イギリスの階級社会で下位の労働者階級として生まれた者は、戦争で兵士として利用される時でしかイギリスの中で尊敬を集めることができない。バグビーはその労働者階級の中でも最も不幸な立場にいるといえる。

別の見方をすればバグビーはただの迷惑な暴力男なのだが、バグビーはバグビーにはどうしようもない立場に置かれていることも事実なのである。

しかし、ここで考えなければならないのはマーク、サイモン、スパッドも生まれたのは労働者階級というところである。

人の性格は遺伝するものか?それはよくわからないが、誰にも選択のチャンスはあるということである。マークやサイモンやスパッドが選択の仕方次第ではバグビーになりうることもあるかもしれないということだ。

人は生まれついた運命に生きているのではなく、自ら選んだ道を進んでいるのだということはできないか?しかも自らの選択は偶然性に晒されているのである。幸せになるのか不幸になるのかは誰にもわからない。しかし、運命を作り出してしまうような階級社会があるとしたら、それは必要ないものである。