自ら決意していきるじんせいとは?

映画「セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身(原題:Seconds)」

を観た。

この映画は1966年のアメリカ映画で、SF映画である。

この映画は人生に絶望している人間が、顔面整形手術と身体改造を経て、人生をやり直せる会社の顧客になり、その人生再生会社の犠牲となるという筋書きの話である。

映画の主人公はアーサー・ハミルトンであり、2番目(セコンド)に生まれ変わるのがこの人物である。アーサー・ハミルトンの新しい名前はトニー・ウィルソンである。

アーサーは親友だったチャーリー・エヴァンズという男から電話で人生やり直し会社の勧誘を受ける。

アーサーは著名な銀行家であったが自分の人生に退屈している。次第にアーサーはトニーの勧誘に心を奪われていったのだろう、アーサーは人生改造会社の客となる。そしてアーサーは整形手術により、トニー・ウィルソンになる。

トニーになったアーサーは、自身の新しい環境(画家)になじむことができない。そんなトニーを見ていた会社は、ノーラ・マーカスという女性社員をトニーの元に送り込み、牧神パーンのぶどう踏み祭りにトニーを参加させる。

その祭りで自己を開放したトニーだったが会社の思っていたよりトニーは自己を開放し過ぎて、周囲の人間に自分が以前はアーサーであったことを話し出す。

この行為は人間改造会社により禁止されていた行為であったため、社員たちはトニーに自身の過去について話すことを禁止しようとする。

トニーとなったアーサーはこの時気付く。自分は今まで物しか興味がなかったと。人生で求めるべきものは人とか意義であると。トニーはアーサーに戻ることで人生のやり直しを図る。

しかし、そのトニーの申し出に会社側は、表では応じて、裏ではトニーを死亡事故偽装の死体として使用する。そうトニーは人間改造会社が死亡事故を装ってアーサーの人生を終わらせることで、存在していたのである。

トニーは新しい会社の顧客のために死体役をやらされるわけである。もちろん死体は実在のトニーの死体なのだ。

人生を生きる人誰もが抱えるであろう“こんな人生は自分のものじゃない”という感覚をこの映画はまざまざと映画を観る者に見せつける。

トニーは物ばかりを求めていたから、人と意義に今度は生きると言いだし、ご都合主義的に過去を取り戻そうとする。しかし時は既に遅い。トニーはもう第二の人生を他人の犠牲の元に歩み出しているのだから。

これがだめなら、あれをしよう。人は誰しもがそう考える。別の場所に行けば。あの時ああしてしれば。後悔は尽きることなくやって来る。

しかし、決意しているのが自分だということに気付けば、当人の感じ方、考え方も変わって来るだろう。アーサーはトニーとしての人生を生きられなかった。それはアーサーという人生を生きられなかったことからも導き出される明確な結末である。