映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー(原題:Janis Little Girl Blue)」を観た。
この映画は2015年のアメリカのドキュメンタリー映画であり、60年代に活躍した女性歌手ジャニス・ジョプリンの人生を描いた映画である。ジャニス・ジョプリンは1943年に生まれて1970年に亡くなった歌手である。
ロック・アーティストとして有名なジミ・ヘンドリックスやジム・モリソンと同じく27歳でこの世を去ったアーティストとしてジャニスも有名である。ちなみにジミ・ヘンドリックスは1942年に生まれ、ジム・モリソンは1943年生まれである。
ジャニス・ジョプリンの死因はヘロインの使用である。ジャニスがいつも使っていたヘロインより、ジャニスを死に至らしめたヘロインは高純度であったため、通常の量を使用していても致死に達してしまったのである。
この映画の最後にジョン・レノンがヨーコ・オノとテレビに出演している映像が流れる。テレビのインタビュアーがジョン・レノンに酒や鎮痛剤やヘロインに人が逃げてしまう理由を尋ねる。
するとジョン・レノンは「まずは原因究明が大切だ」と断った後にこう発言する。「人は世の中の窮屈さにへきえきしている。だから自己防衛手段として、それらのものに手を出すんだ」と。
つまりジャニスは、世の中のクソさ加減に打ちのめされていて、しかもその中でまともに生きていくために自己を守る手段として酒やドラッグをやったのである。
ジャニスは十代のころに公民権運動に刺激されたり、当時としては珍しくバイセクシャルであった。ジャニスはつまりこの世の中の住みにくさを体感している人間であった。つまりジャニスはこの世の中のクソさ加減にうんざりしていたのである。
ジャニスが問題児として育っていくのは、ジャニスが生きる世界がどうしようもなく不条理なものだったからであり、その不条理さの原因がこともあろうに人間によって生じていたからであろう。
人が人を抑圧していく。ジャニスはそれに耐えられなかったのである。ジャニスは自身の容姿が美人ではなかったこと、周囲に溶け込めなかったことを心の傷として生きる。
ジャニスが問題児であったのは、ジャニスがこのクソな世の中を見抜いていた証拠なのである。
人を見た目で判断する世界。色が黒いとか、美人であるとかないとか。今この世の中はジャニスが生きた世界と変わっているか?否、いない。相変わらず黒人は警官に撃たれるし、学校からプロムの伝統は消え去っていない。
いつになったら呼吸のしやすい世界になるのか?そう人々は変わるのだろうか?それ以前に自分自身が変わることが重要なのだが。