牧師と禁欲

映画「イグアナの夜(原題:The Night of Iguana)」を観た。

この映画は1964年のアメリカ映画で、元牧師シャノン、ホテル経営者マキシン・フォーク、放浪の画家ハンナ・ジェルクスそしてその連れである詩人のジョナサン・マフィンを中心とした人間の心の苦悩を描いた映画である。

上記の登場人物以外にも、登場人物たちは居るが、その人物たちを含む登場人物が心の暗い部分を抱えて生きている様が、この映画で描かれる。

この映画の最初から最後まで登場するのは、元牧師のシャノンである。シャノンは心の問題を抱えた人物である。シャノンは牧師である時から人間として不道徳な行いを行っている。それは牧師として教区から追われた現在でも同じである。

牧師という職を売りにしていながら、牧師にはふさわしくない酒と女をやる男としてシャノンは描かれる。

シャノンは映画中未成年とセックスして、大酒を飲んで過ごしている。ではシャノンが自分の性格に合わない牧師を何故続けているのか?という疑問もこの映画を観ている人間には生じる。

それはこの映画の中「シャノンはお化けに憑りつかれている」というようなセリフを通じて理解するとわかりやすい。

酒好きで女好きなシャノンは何故牧師を辞められないのか?それはお化け=神に憑りつかれているからである。おそらくシャノンの心の中には神に仕える人間という意識が強くある。そして同時にシャノンは酒と女に対する欲望も強い。

周知の通り牧師という職は酒と女を遠ざけるのを美徳とする職である。シャノンは牧師の美徳に焦がれて酒と女を断とうと願う。しかしシャノンがそう願えば願うほど、酒と女に対する執着は強くなる。

極度な禁欲は人間にその禁欲された欲望のより一層の強調という結果を導く。つまりシャノンは禁欲すればするほど、欲望の虜になっていくのである。

シャノンは神を信じれば信じるほど精神的に追い詰められていくのである。

禁欲の世界はファンタスティックな世界で、非禁欲の世界が現実の世界であるとも映画中のセリフを借りて言うこともできるかもしれない。シャノンは現実の世界に生きる人間であり、現実の世界とはつまり欲望の世界である。

シャノンが現実の世界にいない時、それは死の時以外にはない。つまりシャノンは神に焦がれれれば焦がれるほど、現実には適さない人間となっていくのである。神とは時として人間の苦悩の理由となり得るのである。