貧困とは惨めなものだろうか?

映画「ラスト・ショー(原題:The Last Picture Show)」を観た。

この映画は1971年のアメリカ映画でサニーという少年が高校を経て仕事に就くまでの期間を描いた映画である。

この映画の主人公サニーの父は薬物依存症者であり、父は定職に就いていないようで、家にも帰って来ないようである。つまりサニーは貧困家庭の子供である。

サニーが住むのはアメリカ合衆国のテキサスの田舎町である。街にある娯楽といえば、ビリヤード場と映画館そして時折開かれるダンス・パーティーである。

サニーにはデュエーンという親友がいる。サニーとデュエーンはジェイシーという金持ちのお嬢様が好きである。デュエーンはジェイシーと付き合い別れ、サニーはデュエーンがジェイシーと別れた後にジェイシーに誘惑されしばらくの間付き合うことになる。最後にはサニーもジェイシーに捨てられることになるのだが。

この映画の中に登場する既婚女性は不幸な境遇に置かれている。何が不幸なのか?それは彼女たちには職がなくて夫に愛されていない専業主婦であったり、職があっても夫は病気で借金があるという具合である。

つまりお金があってもお金が無くても不幸なのである。サニーもお金が無くて不幸という点では、この既婚女性たちと同じである。現にサニーは学校のフットボールとバスケットボールのコーチの妻であるルースと不倫の関係に陥る。

ルースは物質的には満ち足りているが、精神的には不安定な女性である。サニーとルースは不幸であるという共通点を持つために恋仲になったのではないかとも思われる。

サニーがよく通うビリヤードの店にはビリーという少年がいる。ビリーは知的障碍者だと思われる。街の大人たちはビリーが車にひかれて死んでも運転手のせいではなく、ビリーが知的障碍者だから仕方なかったと判断する。それを見たサニーは言う。「お前らなんかクソだ!!」と。

サニーは大学に行くお金もなく高校卒業後働きに出るが、デュエーンは貧しいためだろうと思われる仕事の選び方をする。それはどういうことかというと、デュエーンは軍隊に入るのである。デュエーンは朝鮮戦争に出兵する。

2000年代のアメリカでは貧しい家庭の若者は大学に行くために軍隊に入る。デュエーンは大学へ進学するとは思われないが、軍隊という選択肢を選ぶ。1950年頃の若者も、2000年以降の若者も貧しい者が選ぶ道は同じである。これが仕組まれたシステムだったら明らかに不幸である。