規範を内面化する時に出会った規格外な人物

映画「ハロルドとモード 少年は虹を渡る(原題:Harold and Maude)」を観た。

この映画は1971年のアメリカ映画でタイトルにもある少年ハロルドの成長を描いた映画である。

金持ちの息子として生まれたハロルドは、なかなか子離れできない管理大好きの母の元で生活している。ハロルドはそんな生活を息苦しいと感じている。

そんなハロルドが管理主義の母親から唯一解放される時があった。それはハロルドが自分の死を演じている時である。

ハロルドは学校の実験の意図的な失敗により大爆発を起こしたことがあった。その時ハロルドは学校を黙って抜け出して家に帰った。そこに警察がやってきて母に警察がハロルドの死を告げると、あの普段はハロルドの管理ばかりしたがる母親が倒れ込んだのである。

その時ハロルドは気付いた。母親を倒して母親から解放されるのは自分の死の模擬以外にはないと。ハロルドにとっては死=開放であったのである。

ハロルドは死の香りに誘われて他人の葬式に自前の霊柩車で参加するようになる。見ず知らずの他人の葬式にだ。その葬儀で知り合うのがモードというもうすぐ80歳になるという女性だ。

この女性モードはとにかく画一化から解放されたがっているように見える。モードと対照的なのは警察という役割であろう。警察というのはひとつのおきて(法)に従って周囲を均質化していくような存在である。物を盗んではダメ。スピード違反はダメと。

モードは警察にただ反抗しているだけではない。そこには実はモードなりのルールが存在しているようである。モードはハロルドに言う。「私は自由と権利と正義のために戦ってきたの」と。

ハロルドはモードの生き方に魅せられモードの死と立ち合い、ハロルド自身の規範を見つける。ハロルドを縛り付けるハロルドの母親は、均質化しようとする母(女)である。それに対してモードは均質化から脱する女である。

ハロルドは子供として一旦社会の掟(法、道徳、習慣)を身に着ける。しかしそれだけでは生きて行けない。従来の掟には悪いところがある。それを更新しながら人間は生きていくのである。従ってモードのような理念に燃える独創的な女性から学ぶことも多くあるのである。

ハロルドの母に育てられ、モードと出会い愛を知り、現実との繋がりを強く意識したハロルドは、独り立ちすることに成功する。愛という現実と分かちがたく結びついたものにより、ハロルドは現実を生きる力を身に着けたのだ。ハロルドは一人前の人間になったのだ。