他者への想像力

映画「ドライヴ(原題:Drive)」を観た。

この映画は2011年のアメリカ映画で犯罪アクションと恋愛の要素を持つ映画である。

この映画の主人公は車の修理工、スタント・ドライバー、レーサーそして逃走車の運転手をしているキッドという男である。キッドは同じ階に住むアイリーンという女性を好きになる。

しかし、アイリーンには夫がいた。夫の名はスタンダード。スタンダードとアイリーンの間にはベニシオという子供がいる。

アイリーンとキッドが付き合うきっかけになるのは、アイリーンの夫であるスタンダードが刑務所に入っていたからだ。愛するに離れられた人は孤独を強く感じる。そんなアイリーンの前に現れたのがキッドだったのである。

スタンダードは出所した後も街のゴロツキに悪い仕事を押し付けられる。スタンダードは刑務所の中で借金をしたのだという。その借金を返すために質屋の強盗という犯罪行為を押し付けられるのだ。

スタンダードは家族の安全のためにキッドを逃走車の運転手としてその仕事をするが、スタンダードははめられて殺されてしまう。

スタンダードに仕事を依頼してきた連中は元から盗んだお金をスタンダードを殺して奪うつもりだったのである。

スタンダードをはめた相手はニーノというユダヤ系のゴロツキである。ニーノは質屋にマフィアの金があるのを知っていて、その金をスタンダードに奪わせ、その後スタンダードを殺してその金を手に入れようとしたのである。

「スタンダードがマフィアのお金を盗み、その後お金の持って行先はわからなくなる」というのがニーノの筋書きである。よってニーノ以外の連中がその事実を知っていると問題である。ニーノがマフィアに殺されてしまうからだ。

この映画の最後にキッドはお金とニーノとつるんでいたバーニーの死体の元にマフィアの金を置いて街から去って行く。キッドはその金でアイリーンとベニシオと逃げようとしたが、それがより不幸な結末を生むのを避けたのだろう。

キッドとは多分本名ではないだろう。修理工として働く先のボスが彼のことをキッドと呼ぶのである。“キッド”はその名の通りずっと子供のままなのであろうか?

いや違う。キッドはアイリーンとの決別を選ぶことで、キッド(子供)から大人になる。そこには自身の思いだけでなく、他人の未来を冷静に見つめて、両者のためになる未来を紡ぎあげるような想像力が存在する。そのような想像力を持つことができること、つまり自分自身の幸福だけでなく他者の本当の意味での幸福のために生きることができること。それがきっと成長した人間の姿なのだろう。