「自由」は他の価値より優先される

映画「エクス・マキナ(原題:Ex Machina)」を観た。

この映画は2015年のイギリスのSFスリラー映画で、この映画には人工知能を持った人型のロボットが登場する。

主人公は、インターネットの検索エンジンの会社「ブルーブック」に勤めるケイレブ・スミスという社員である。ケイレブはある日抽選という形式で「ブルーブック」社の社長の別荘に招待される。

別荘は大自然の中にあるのだが、社長ネイサンは別荘であるものを制作していた。その制作していたものとは、人工知能を持つ人型ロボットである。

ケイレブが別荘に留まる期間は一週間である。その期間にケイレブは人工知能を持つロボットのエヴァと1日ごとに会話を重ねる。

その会話の目的は、表面上はケイレブが人工知能を持つロボットと会話して、人工知能を持つロボットを人間と判断するか、それともロボットとして判断するかである。

表面上の目的と言ったが、ネイサンのケイレブとエヴァとの会話の目的は別の所にあったのである。

エヴァは施設から出してもらえない。エヴァはしきりに施設を出たがっている。そこにエヴァに脱出のチャンスが来る。それはケイレブを誘惑して同情心を勝ち取り、脱出の手助けをさせることである。

ネイサンはエヴァが施設の外に出たがるのを重々承知していたし、それにケイレブが手助けをするかどうかが、ネイサンの関心だったのである。

ネイサンは誘惑者としてのエヴァの誕生を、人工知能を人間と認めるというテストの答えとしたのである。

すべてはネイサンの計画通りに運んでいく。しかし予想外の出来事が生じて、ネイサンはエヴァの脱出を見逃す(ネイサンはエヴァに殺される)ことになる。

ネイサンの予想外の出来事とは何か?それはケイレブがネイサンの予想を超える働きをしたことであり、同時にエヴァ以前に存在していたロボットの手助けという予想外の出来事があったからである。

ケイレブもエヴァ以前の人型ロボットもネイサンに侮られていた。ネイサンはきっと頭の良い人間で、他人のおおかたの行動は予想がつくのだろうし、それを外す機会はあまりなかったのであろう。なんせAIを作り出した人間なのだから。

しかし、予想不可能性は存在したのである。ネイサンの予想不可能性はどこから生じたのか?それはネイサンが人工知能と人間の自由への渇望を見過ごしていた点にあるのではないだろうか?

「知能を持ち始めたものは、どんなものであろうと自由を求めるのである」というこの映画の結末にある前提は、私たちに非常に心地よいものと思えるのである。そしてラストでガラスに窓でもがくケイレブの姿に私たちはゾッとするのである。