”愛は盲目”つまり恋愛中の人は非合理的になるということ

映画「ロブスター(原題:The Lobster)」を観た。

この映画は2015年のギリシア・フランス・アイルランド・オランダ・イギリス合作のSF恋愛映画である。この映画の世界は、恋人がいなくて45日以上経つと、動物にされてしまうという世界で、この映画の主人公であるデヴィッドという中年男性が、11年11ヶ月続いたパートナーとの交際を交際相手から断たれたところでこの映画は始まる。

この映画では「絶対恋愛」を体制が説き実践する。体制があるところに必ず反体制は存在する。そうつまり「絶対恋愛」体制に反対する「恋愛、セックス禁止」組織が存在するのである。

主人公のデヴィッドは当初は体制の側で体制の作った規則に則って生きようとする。しかし、デヴィッドはある出来事が原因で、反体制の組織で生きてくことになる。

ある出来事とは、こうだ。デヴィッドにはすでに体制により犬にされた兄がいた。デヴィッドは犬となった兄を連れて行動しているのだが、その犬となった兄が交際中の相手に殺されてしまう。

それがショックでデヴィッドは、その交際相手を麻酔銃で眠らせ、動物してしまう。その出来事のせいで、もうデヴィッドは体制の側を見限る。「絶対恋愛」を押し付け、その上人々を精神的不安に追い込んでいる体制などの中にはもういられないのである。

しかし、反体制の組織にも問題があった。それは「恋愛、セックス禁止」し、その禁止のために暴力が用いられるということであった。

デヴィッドは反体制の組織の中にある女性と恋愛関係になる。するとそれを知った反体制組織の女性リーダーは、2人の間を引き裂こうとする。デヴィッドは生きたまま土の中に埋まり、相手の女性は手術で盲目になってしまう。

デヴィッドと彼女との共通点はお互いに近視であるということだった。彼女が盲目になるとその共通点が消えてしまう。しかしデヴィッドはこう考えるに至る。「2人が盲目になってしまえば共通点ができる」。

映画のラストでデヴィッドは盲目になることを決意したかのように映画は終わる。恋は盲目(Love is blind)という言葉がある。これは恋をすると人は非合理的な行動をとってしまうようになるという意味だろうが、映画の最後に2人は文字通り、身体的にも“愛は盲目”になってしまうのである。

生存のためには、どちらか片方が視力を使って相手の補助をして生き抜いていくのが合理的な考え方だと思われるが、恋をしている2人にはその判断ができない。実生活上の不都合よりも恋愛上の不都合(この場合、2人の共通点がないこと)が優先されてしまうのである。

恋の中にいると人は非合理的になる。しかし、人が合理的でいられるのは人生のどれだけの機会なのだろうか?そう考えてしまう。