女性という弱者

映画「ピクニックatハンギング・ロック(原題:Picnic at Hanging Rock)」を観た。

この映画は1975年のオーストラリア映画であり、この映画の舞台は1900年のオーストラリア、ヴィクトリア州である。アップルヤード女学校の女生徒と教師マクロウと使いの男性はマセドン山にピクニックに出かける。

ピクニックに行った先で、マクロウ先生と女生徒のミランダ、アーマ、マリオンの4人が行方不明になる。映画の途中アーマは岩山の中で発見されるが、他の3人は行方不明のまま映画の幕は閉じる。

映画の中で4人が行方不明になった理由は明かされない。はっきりとは。この4人の行方不明の事件による負担もあり神経を衰弱させていく校長の女性は、発狂して死ぬ前にこうつぶやく。

「あのマクロウってのはしょうがないやつだ。強姦されて、殺され、神隠しに遭うなんて」と言う。これは事実なのだろうか?この言葉を吐き捨てる時の校長はアルコールに浸っていて、部下との会話もままならなくなっている。

この校長の発言に信憑性があるとは言えないのではないか?つまりこの校長の言葉は、ただの酔っぱらいの暴言に過ぎないのではないだろうか?しかし、この校長の発言が嘘でないならば、それは非常に恐ろしいことである。なぜなら4人はレイプ殺人にあったということになるのだから。

この映画の中には孤児院出身の人物が2人出てくる。女学校の生徒セーラと、女生徒たちが岩山の方へ入って行くのを見るアルバートという青年である。ここでは特にセーラに注目したい。

セーラは謎の失踪と遂げる4人の中の一人ミランダを愛している。ミランダはセーラ以外の女生徒にボッティチェリの絵の中の天使のようだと例えられる美貌の持ち主である。このセーラのミランダに対する愛は同性愛的なものだと思われる。

ミランダは言う。「セーラ他の人を愛して」と。セーラはミランダに失恋するのである。セーラは女学校の校長に早く学費を払えと何度も責められる。校長は女学校の経営のことで頭がいっぱいであり、セーラの生い立ちに同情する様子はない。そしてセーラは学校の経営が傾いた後に、学校の植物園で転落死しているのを見つけられる。

校長は言う。「セーラは後見人が連れて帰ったわ。荷物も持って行ったしね」。セーラは後見人に引き取られてはいなかった。女学校で悲劇の死を迎えたのである。この映画の登場人物は現実の社会、世界にひどく打ちひしがれているように見える。女学校の校長もその1人である。