自分が弱者になることを恐れて、その恐怖から相手に暴力を振るうこと

映画「トム・アット・ザ・ファーム(原題: Tom à la ferme)」を観た。

この映画は2013年のクサヴィエ・ドラン監督による、サイコ・スリラー映画である。この映画はロンシャン家の農場やその周辺で繰り広げられる、ある特定の人物たちの物語である。

主人公トムはギョームと付き合っていたが、ギョームが死ぬ。トムはギョームの葬式に出席するためにギョームの実家の農場に行く。その農場にいるのはロンシャン家のアガットという年老いた女性とその息子フランシスであった。

アガットはギョームの母で、フランシスはギョームの兄である。死んだギョームには秘密があった。それはギョームがゲイであり、ギョームの恋人トムがいることである。ギョームは母と兄に自身のセクシャリティを隠していたのである。

トムがロンシャン家の2人に、自身がゲイであり、恋人がギョームであることを告白してしまえば、事は単純に進むように思われる思えるのだが、話はそうは進まない。

兄フランシスはギョームがゲイであることを見抜いていた。フランシスは田舎に住む、マッチョな男である。弟のギョームがゲイであると知れたら町中の注目の的であるし、そうなるだろうとフランシスは強く思い込んでいる。(田舎の封建的な人々は「私が思っていることは皆が思っているに違いない」という思い込みがあるのかもしれない。そしてフランシスの立場に置かれた場合、それが自分で自分の首を絞めることになるのである。)

フランシスはトムに対して暴力と愛情で接する。要するに飴と鞭である。トムはギョームの死に罪悪感を持っているらしく、フランシスのトムへの暴力は罪の償いであると思っている。

トムはフランシスに飴と鞭を使われることにより、フランシスに飼いならされていく。フランシスは、明確には語られることはないが、同性愛的な感情を、当然他の多くの男たちと同様にある傾向として持っているのだと見える。

フランシスのそんな態度に、トムは自分が愛されていると感じ、フランシスに気を許すが、ギョームの日記を母アガットが読んだことを知ると、危機感を覚える。フランシスはアガットが性的にストレートなことを重んじる女性だと信じている。

フランシスは母のことがすべてだと言っていた。もし、母アガットがギョームがゲイであることを知ったら、母アガットは傷つくだろう。つまりフランシスの暴力がトムへと向かうのである。

人は相手を見下すと暴力的になることがある。自分より弱いはずの相手に負けるかもしれないという恐怖が相手を見下すことによって強まるからだろう。そして人は一端暴力を振るうと、暴力を止められなくなる。なぜなら暴力を止めたら仕返しを食らうかもしれないという恐れを抱くようにもなるからだ。よって暴力者は、暴力を恐れるがために暴力的になる。そう例えば、映画のエンディング曲の中で歌われるアメリカという国のように。