戦争と子供

映画「僕の村は戦場だった(原題音:Ivanovo detstvo,英題:Ivan’s Childhood)」を観た。

この映画は1962年のソビエト連邦アンドレイ・タルコフスキー監督による映画である。映画の舞台は第2次世界大戦時のロシアがドイツから奪還した領土と、ドイツ軍領土との境界に位置する廃墟と化した土地である。

ロシア語の原題タイトルや、英題からもわかるように、この映画はイワン・ボンダレフの子供時代を描いた映画である。イワンは戦争により両親と妹を失っている。

又、ドイツ軍からロシア軍が奪還した土地の地下室の壁にはこう書かれている。「私たちは19歳以下の8人。ここで射殺された。復讐を果たしてくれ」と。この壁の言葉は、まるで殺されたイワンの父、母そして特に妹が書いた言葉であるかのようだ。映画中イワンは壁に書かれた(刻まれた)この文字を何度も見つめている。

イワンは周囲から子供扱いされるのを嫌う。イワンは言う「僕はみんなにいろいろかまわれるとうっとうしい」「僕は復讐する」と。イワンは少年ながらもロシア軍のスパイとして働いている。そして軍人たちと同行する。

軍人たちはイワンを幼年学校に入れようとするが、イワンはいうことを聞かない。「僕を子供扱いしないでくれ」。イワンの態度は観る者にこういった意思を示す。イワンは“子供らしさ”を拒否するのである。

“子供らしさ”とは一体何だろう?とこの映画を観ていると考えさせられる。無邪気に子供らしい遊びをして笑っている。そんなイメージを多くの人は抱くだろう。しかしこの“子供らしさ”とは一体どこから来ているのだろうか?

現在のように学校教育が一般化される前の社会では、子供が子供らしく無邪気にふるまって教育を受けるというのは、教育を受けさせる余裕があるような特権階級の家庭のことだったのだろうと思われる。

教育が一般化する以前は、子供も労働の担い手として働いていた。しかし、近代になるにつれて国家の体制を整えると同時に教育が必要になった。近代に必要な人材を育てるための教育である。

イワンの少年時代の舞台となるはずであったイワンの故郷の土地は戦争により荒廃した。イワンは生まれた土地を離れるのを嫌がる。なぜならそこは母と妹と父と過ごした思い出の詰まった土地だからである。

しかしその土地にイワンがしがみついている限りイワンは教育を受けることができない。近代人に必要な前提を身につけることができない。戦争は近代の前提を壊す。

イワンは教育よりも復讐を選んでドイツ軍の手により処刑される。イワンの後の世代が教育を手に入れるために。しかし復讐は復讐を生むのだが。