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アブラハムの犠牲

映画「未知への飛行(原題:Fail Safe)」を観た。

この映画は1964年のアメリカ映画で、米ソ冷戦という状況の中高まっていた核戦争の危機を描いた映画である。この映画の中では主にアメリカ大統領とアメリカ空軍そしてソ連側の代表者が描かれている。

第二次世界大戦後アメリカとソ連は、共に大きな軍事力を持ち、世界を西側(アメリカ側)と東側(ソ連側)に分けて勢力争いを、アメリカとソ連の直接対決という形には示さずに、表面上には出ない水面下で行っていた。この直接的ではない間接的な戦いを指して冷戦という。

アメリカとソ連は軍事力で拮抗していた。共に当時最強最悪の兵器であった核爆弾を、米ソ共に持っていたのである。核による戦争とは、その殺傷能力から考えて、人類滅亡の戦争である。核戦争によって世界は焼き尽くされるだけでなく、放射能によって汚染される。核戦争の起きた世界はとても人間が生きていけるような環境ではない。

この映画では核爆弾は飛行機に設置されている。広島、長崎の時のように目的地上空から核爆弾を落として、都市を壊滅させるのである。

この映画の設定時代は1945年以降(映画制作は1964年)であり、広島、長崎の時より科学は進歩(?)しており、核爆弾もその殺傷力をより巨大にさせた水爆に代わっている。映画ではアメリカ軍の機器故障とソ連による通信妨害により、水爆を積んだ爆撃機がモスクワへ水爆を落としに行く。

アメリカ側もソ連側も何とかしてその爆撃を阻止しようとするが、上手くいかない。そしてアメリカの大統領はソ連との立場の公平さという点から、もしモスクワに水爆が落ちてしまった時は、アメリカ軍自らがニューヨークに水爆を落とすという決定をする。この決定をアメリカ大統領は聖書の中の「アブラハムの犠牲」を用いて表現をする。

アブラハムは、ようやく妻との間に授かった息子を神のために捧げろと、神に命令された。そしてアブラハムは愛する息子イサクを神に捧げようとしたのである。

この映画で述べられる「アブラハムの犠牲」とは、自らが信じる生と死の公平さのために国民の命を捧げるという犠牲のことである。愛するものを絶対的な存在者のために捧げるのである(この場合絶対的存在者として捧げものを受け取るのはソ連か?それともアメリカとソ連が神に対して両国の国民という捧げものをしているのか?)。

しかし、その決定は正しいのか?それは神のみぞ知ることであろう。人間の判断は絶対的な事実の前では単なるごみ屑に過ぎない。神は人間の思惑を超えたところに存在するのである(つまりこの場合、アメリカとソ連は神におのおのの国民を捧げたことになる)。「アブラハムの犠牲」とは、限界の状況に来た時、神に救いを求めて非合理的な決定をしているようにしか見えないのだが。