古代の儀式と現代的合理性

映画「血の祝祭日(原題:Blood Feast)」を観た。

この映画は1963年のアメリカ映画で、スプラッター・ムービーの元祖的存在の作品であり、監督はハーシェル・ゴードン・ルイスである。この映画はアメリカ合衆国のとある一時期に起こる連続殺人を描いたものである。

連続殺人の犯人はフアド・ラムセスという「古代宗教儀式」という架空の本の著者である老人であり、このフアド・ラムセスが古代宗教の儀式にのっとって殺人を犯していくのである。

映画中、血が飛び散るシーンが多い。これがこの映画をスプラッター映画と呼ぶ原因だと思われる。そして血が飛び散る殺人シーンの殺害者役となっているのが、フアド・ラムセスという老人である。

フアド・ラムセスは“ラムセスのエスニック料理サービス”という店を営んでいる。ラムセスは「古代宗教儀式」という架空の本の著者であり、ラムセスはこの本が欲しくてラムセスの元に住所と電話番号を記してくる若い女性の元へ、殺人へ行くのである。

「私は『古代宗教儀式』という本が欲しいんです」と手紙に住所と電話番号を書くと、そこに本と殺人者が届くというわけである。

ラムセスは何の宗教についての本を書いたのか?それは古代エジプトの宗教儀式についての本であると映画中の出来事から推測される。古代宗教儀式についての網羅的な本がこの「古代宗教儀式」という本で、その本の一部にきっとエジプトの古代宗教儀式に関する記述があるのだろう。

ラムセスは古代宗教儀式を行っている。だがその儀式は生贄を必要とする儀式で、現代行えば犯罪に当たるのである。人の生贄(この映画では若い女性)は古代では慣習に沿って受け入れられているものだが、現代の法では明らかな異常行為、犯罪なのである。時代が変わると人間の考え方も全く変わっていくものだと感じさせる。

ラムセスが心酔しているのは、メソポタミア神話に登場するイシュタルという女神である。この女神は性愛、戦いの女神であり、出産、豊穣につながる女神でもある。性愛の女神であると同時に、勃起不全などの性愛の不具合を象徴する女神である。

ここでは出産、豊穣に注目したい。儀式のために流される多量の血は「金枝篇」を思い起こさせる。儀式のために流される多量の血とは水のことであり、豊穣のために必要なものとされる。

出産とは新しく生まれることであり、人間が死に新しく生まれてくるというような「金枝篇」の記述を思い起こさせる。又、犠牲となるものを食べるという行為は、生けるものの若さを自身のものとしているようである。古代の儀式というのは何ともおぞましいものだ。