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無秩序と秩序

映画「奇跡の人(原題:The Miracle Worker)」を観た。

この映画は1962年に公開されたアメリカ映画で、伝記映画でもある。この映画は実在の人物である通称ヘレン・ケラー、正式名称ヘレン・アダムス・ケラーが、自制の効かない無秩序状態から、自制された秩序の状態へ移り変わるまでの成長のドラマを描いた作品である。

ヘレン・ケラーが無秩序状態から秩序状態に成るとはどういうことだろうか?それには何が必要なのだろうか?ここで鍵となるのは「言葉」である。

ヘレン・ケラーは、幼い頃に患った病気(胃と脳の急性鬱血→映画中の説明、しょう紅熱による髄膜炎→通説)によって、視力と聴力を失って言葉を理解し話すことができない。

ヘレン・ケラーは、言葉を知らない子供であり、言葉を知らないが故に無秩序であり、親の哀れみもあってやりたい放題である。

例えば食事である。ヘレン・ケラーは家族の皆と一緒に座って食事を摂ることができない。家族が食事をしている最中、テーブルの周りをぐるぐる歩き回り、手の感触だけを頼りに食べ物を取ってそれを口に運び、とりあえず口に入れる。食べては動き、食べては動きを繰り返す。

そこにヘレン・ケラーに「言葉」を教えることになるアニー・サリバンが家族の依頼(特に母親の)を受けて登場することになる。

アニー・サリバンは教育者として、ヘレン・ケラーに指文字を使って言葉を教え込もうと悪戦苦闘する。教育に対するヘレン・ケラーの抵抗はすごい。ヘレン・ケラーはアニー・サリバンが気に入らないことをすると、アニー・サリバンにビンタをする。時にはアニー・サリバンの歯が欠けるほどに。

ビンタだけではない。ヘレン・ケラーは体全体を使って暴れまわり、アニー・サリバンに抵抗する。映画を観る者は、この映画の持つ肉体性、暴力性に圧倒されるだろう。

この映画では「言葉」を知らないという無秩序状態がこれでもかというほどに描写される。そして「言葉」の持つ統制力に気付かされるのである。

映画中アニー・サリバンは言う。そして示す。「私はヘレンに言葉という光を教えたい。言葉を知れば世界が広がる。哀れみや寛容な精神では、言葉の意味を知ることはできない。「言葉」を教える教育こそが愛情なのだ」と。

映画中では、言葉とそれが持つ意味とが繋がる瞬間が描かれている。この瞬間こそが、奇跡なのだと映画を観る人は知るのである。