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子供から大人への成長

映画「片目のジャック(原題:One-Eyed Jacks)」を観た。

この映画は1961年に公開されたアメリカ映画で、メキシコを舞台とした、ガンアクション、復讐そして、愛を描いた映画である。

この映画の主軸となるのはキッド(リコ)とダッドとの交友のもつれである。キッドとダッドの交友のもつれとは何か?それは2人の間の友情のダッドによる裏切りである。

キッドとダッドは2人でチームを組んで、悪事を働いては酒を飲んで女を抱いているような、俗にいうゴロツキの悪であった。ある時キッドとダッドはドックと3人で組んで、メキシコのソノーラという土地にある銀行を襲う。

3人は強盗という法を犯す行為をするために当然、警官隊に追われることになる。ドックは警官との銃撃戦で射殺される。残るのはキッドとダッドだけになる。2人は警官隊に追い詰められて、最後には小銃と、ショットガン一丁と馬一頭を持つのみとなる。

警官に追い詰められたキッドはダッドに言う。「くじをして勝った方が残った馬に乗って、馬を2頭連れてくるんだ」と。そしてキッドは両手に銃弾をつかみ、ダッドに「どっちの手に銃弾があるか?」を当てさせる。

つまりどっちをダッドが指しても当たりで、ダッドが馬を連れてくる役になる。しかし、キッドのこの期待も虚しく、ダッドは馬に乗って去ったまま帰ってこず、キッドは警官隊に捕まり、5年間ソノーラの刑務所に入ることになる。

そしてキッドはダッドに裏切られたことにより、ダッドに復讐を誓う。そしてキッドの復讐への執着と、復讐からの解放がこの映画の中で描かれる。

キッドがダッドへの復讐心を断ち切る元はどこにあるのか?それはここにある。復讐という憎しみとは違う愛を知ることによりキッドは復讐に満ちた心から解放されるのである。

キッドの知った愛とは何か?それはダッドの義理の娘であるルイザへの愛の目覚めである。キッドは当初ルイザのことをただのセックスの相手ぐらいにしか思っていない。キッドはルイザを口説くときに「俺は役人で、しばらくオレゴンに行って帰ってこれなくなるから、今セックスしよう」と言う。

そしてセックスが終わって夜が明けると、キッドはルイザにこう言う。「俺が昨日言ったことはすべて嘘だ。だから俺とはこれきりにしよう」と。しかしルイザはキッドへの思いが忘れることができずに、キッドに何度か会いに行く(ルイザはキッドの子供を妊娠している)。

ルイザの強い思いにキッドの心が開かれていく。「俺もまた誰かを信じてみよう」。キッドは復讐すれば心が解放されるという考えを捨てるに至る。ルイザの愛がキッドを開放するのである。愛による解放と包摂がここにある。

 

※字義通り、裏切るダッドとは“父”、裏切られるキッドとは“子供”である。子供であるキッドは父であるダッドのことを許すことができない。キッドが“大人”だったらこれは違う結果になったのかもしれない。ルイザの愛を知ることによりキッドは成長する。子供から大人になるのである。