解放的な人たち

 映画「ラリー・フリント(原題:The People Vs.☆☆☆☆☆☆ Larry Flynt)を観た。

 この映画は実在の人物である、ポルノ雑誌“ハスラー”の編集長であるラリー・フリントの半生を描いた映画である。

 ラリー・フリントの創刊した“ハスラー”という雑誌はそれ以前のポルノ雑誌と比べて過激なものであった。映画の中で雑誌“ハスラー”の過激さは、ラリー自身がポルノ雑誌の写真の撮影の際に女性モデルの股を露骨に大きく広げるシーンや、雑誌の記事のテーマとしてサンタクロースやオズの魔法使いという子供の夢の世界のものを取り上げたり、女性同士のレズビアンというテーマを取り上げるという形で描かれている。

 ポルノ雑誌ハスラーの売り上げ部数は映画では200万部と示されている(ハスラーは月刊誌である)。月に200万部売り上げる雑誌となると多くの人の注目を集めるのは避けられない。ラリー・フリントはポルノ雑誌ハスラーの過激さゆえに裁判沙汰になることも少なくなかった。

 裁判に出席する際のラリーの態度はこうである。「キリスト教の道徳にこだわって、俺の自由を踏みにじるのは決して許さない」。

 ラリー・フリントはアメリカ人であるのだが、そのアメリカは自由の国と言われている。ラリー・フリント言論の自由持つとして、裁判所の中でも下品な言葉を吐き出しまくる(その結果法廷侮辱罪になったりもする)。

 「俺には言論の自由がある、汚い言葉を使って何が悪い!!」確かにラリーの態度が示しているようにアメリカには何を言ってもいいという“言論の自由”を示した“修正第1条”がある。

 しかし世の中には「セックス」と言われるのを聞いて不快に思う人たちもいるのだ。つまり、聞きたくないものや見たくないものを、聞こえなくしたり見えなくしたりする権利も存在するのである。

 映画のクライマックスの裁判所のシーンでラリー・フリントの弁護士アラン・アイザックマンはこの2つの対立する権利をこう表現する。「人々の表現の自由という公共の権利」もあれば「公共の人物の精神的苦痛を訴える権利」もあると。

 このラストのシーンの裁判でラリー・フリントに訴えられているのは、自由パプティスト学院の学長であるジェリー・フォルウェル氏である。フォルウェル氏はラリーたちの雑誌の記事により、精神的に苦痛を受けたとしてラリーを訴え、逆にラリーたちに言論の自由があるとして訴えられている。

 フォルウェル氏はテレビでこう言う。「エイズになった人は不道徳の罪として病気になるのだ!!」と。ラリーはエイズになって苦しむ妻を抱えてこう言う。「訴えてやる!!」そう解放されない人々は、解放された人々を妬むのだ。