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ケンドリック・ラマーはセンドウする

 ケンドリック・ラマーがラップをする。ケンドリック・ラマーがラップで怒りや不満、不安をぶちまけると、それに大衆が反応をする。「ケンドリック・ラマーはなんてすごいやつなんだ!!」と。

 ケンドリック・ラマー、本名ケンドリック・ラマー・ダックワーズは1987年6月17日アメリカ合衆国カルフォルニア州コンプトンに生を受けた。この事実だけではケンドリックの生き方にかせになるようなことは生じない。しかしケンドリックには天から受けた負荷があった。それはケンドリックがアメリカ合衆国に生まれた黒人であること。そして生まれた場所が貧困にあえぎ、マフィアの犯罪に悩まされている都市周辺の町(インナーシティ)だったということだ。

 アメリカ合衆国生まれの黒人で、しかも貧乏で、自分の周囲は犯罪者だらけ。そんな境遇でケンドリック・ラマーは大人になった。ケンドリックの叔父アンクル・トニーは実際にケンドリックが9歳の時に頭を打ち抜かれて死んでおり、その様子はケンドリックのセカンドアルバム「グット・キッド、マッド・シティー」の中の曲「マネー・トリーズ」でラップされている。

 ケンドリックはつまり、ギャングたちが多く住む界隈で生まれ育ち、危険な世界を垣間見て大人になってきたのである。

 ヒップ・ホップというカルチャー、特にその音楽的な部分を語る上でケンドリックが生まれたカルフォルニア州コンプトンという地名は実は珍しい言葉ではない。それは何故か?それはコンプトン出身の有名なヒップ・ホップ・グループが既に登場していたからである。そのヒップ・ホップ・グループの名前は「N.W.A.」である。N.W.A.は正式名称をNiggaz With Attitudes(アティトゥードのあるニガ達)という(ちなみにニガというのは黒人に対する差別用語で黒人が黒人に対して呼びかける時は特に問題にならないが、異人種がニガと黒人を呼んだ場合には大問題になる)。

 N.W.A.は1986年にコンプトンで結成された。メンバーはアイス・キューブとドクター・ドレを含む5人。「ファック・ザ・ポリス」という曲がアメリカで大ヒットしている。その「ファック・ザ・ポリス(くたばれポリ公)」の歌詞は、アメリカ合衆国で1980年代当時行われていた、警察による黒人の扱いの酷さが歌われていた。歌詞の内容としては、とにかくアメリカの警察は黒人に対して暴力的で、白人の警官だけでなく黒人の警官もが、黒人に対して厳しく差別的に接してくるというようなものだ。この様子は2015年に公開されたN.W.A.の伝記映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」の中で描かれていた。N.W.A.のメンバーがレコーディングの最中に路上に出て休んでいたら、警官が現れて彼らが何か危険なことをしているわけでもないのに、メンバーをアスファルトの上にうつ伏せに無理やり寝かせ、武器を携行していないかを強引に調べられたのである。ただ黒人というだけで。

 ここではレイシャル・プロファイリングとストップ・アンド・フリスクと呼ばれる行為が行われていることになる。レイシャル・プロファイリングとは警察が人種や年齢などによって調査対象を絞ることであり、ストップ・アンド・フリスクとは不審だと思われる通行人を呼び止めて尋問し、武器携行の有無を実際に体に触れて検査することである。つまり警察はレイシャル・プロファイリングで捜査対象を絞込み、そして路上でストップ・アンド・フリスクして体に触れて武器の携行がないか調べるのである。警察は黒人を犯罪者予備軍と判断して、路上で歩いているだけの黒人を体に触れて尋問するのである。ただ路上を歩いているだけで。

 N.W.A.のこの「ファック・ザ・ポリス」という曲だけで黒人の置かれている不遇の状況が伝わってくる。そして現在ケンドリックの時代になってこの状況は良い方向に変わってきているのだろうか?答えは”否”である。

 2014年に日本公開された「フルートベール駅で」という映画があるが、この映画では22歳の家庭を持つ黒人青年オスカーが警察に射殺された2009年の元旦までの出来事を題材にしているし、2014年8月9日にはミズーリファーガソンで、18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが白人の警察官によって射殺されている。いずれもレイシャル・プロファイリングとストップ・アンド・フリスクの結果である。マイケル・ブラウン射殺事件の際には抗議運動と暴動そして略奪が起こった。警察の人種差別への強い憤りの現れだろう。ケンドリックはこうした時代にヒップ・ホップという音楽の曲を作り、詞を書いているのである。

 ケンドリックはセカンド・アルバムの「グット・キッド、マッド・シティー」に含まれている「スイミング・プール(ドランク)」という曲でブレイクして、このアルバムは全米で140万枚以上のセールスを誇る。サード・アルバム「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」は68万枚以上を既に売り上げている。ケンドリックは成功した、アメリカン・ドリームをつかんだヒップ・ホップ・アーティストである。

 セカンド・アルバム「グット・キッド、マッド・シティー」には「ビッチ、ドント・キル・マイ・ヴァイブ」という曲がある。その歌詞にはこうある。「そんな成功の型なんて壊してやる」。”そんな成功の型”とはどんなものであるのか?それはきっと同じコンプトン出身のN.W.A.のような成功の物語のことではないのだろうか?

 N.W.A.はアメリカで絶大な成功を収めたが、実はメンバー同士の関係は上手くは行かなかった。それは何故か?メンバー間で金銭の配分が均等になっていなかったのである。N.W.A.の稼いだ金はグループのマネージャーとマネジメントのリーダーであるイージー・Eがほとんど占有していたのである。それが原因でグループからはメンバーが脱退して、グループは燃え尽きてしまう。ケンドリックの思い描く成功の型とはこのような成功(?)のことだと思われる。

 ケンドリックの成功がいかなるものなのか本当のところはわからないが、ケンドリックはサード・アルバム「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」でこう語る。「俺はすべてを知っている、俺はコンプトンを知っている」「ああ忘れてたよヴァイブを台無しにするなだよね」。これはサード・アルバムの中の曲の「マンマ」という曲からの抜粋であるが、ここで語られている”ヴァイブ”とは成功を手でつかみかけているセカンド・アルバムの「ビッチ、ドント・キル・マイ・ヴァイブ」のヴァイブを指す。つまりケンドリックは過去の成功とは違った、自分の成功を作り出すという初心を失ってはいないのだ(そこには、初心を忘れまいと焦っているケンドリックの姿が見て取れるような気がするが)。

 さて、ミュージシャンとは一体どのような存在なのか?それは、大衆とアーティストという関係について考えたときに登場する「大衆扇動者」という概念に当たると思われる。大衆の好みをうまく捉えて、大衆の好みの音楽を提供して、自らを「アーティスト」として生きながらえさせるのが、ミュージシャンだと思われる。しかし大衆扇動者であるミュージシャンはただ大衆を煽るのではない。そこには音楽というミュージシャンの主張がある。それが特にわかり易く現れるのが曲調と歌詞の内容である。聞き手はミュージシャンが送り出すメロディーと歌詞に共感したり疑問を抱いたりして、自身の考えを育むようになる。ミュージシャンの主張は扇動もするが、リスナー自身の自発的な学習を呼び起こしもするのである。

 リスナーは自身の考えを育んでくだけではない、その考えを自身の周囲の人に発信するようになる可能性だってあるのである。しかも音楽は発信機器さえあればどこにでも流れる。その曲が流れるだけで曲が何かを主張して、その主張に同意する大衆が生じる可能性さえあるのだ。大衆を導くのはエリートだという考えがある。それも悪くはないのかもしれない。しかし大衆から抜け出した大衆扇動者が大衆を牽引することだって十分にありうる。時にその先導は政治的なものになるのかもしれない。ミュージシャンが活躍する姿を見ていると、大衆がミュージシャンを必要としているように見える。ケンドリック・ラマーには扇動者の資格はあるのか?我々は彼の音楽を聴くことでそれを知る。(2016.2.28)