情動

 映画「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!(原題:Election)」を観た。

 主人公は中年になりかけの白人男性の高校教師。既婚者。ある日主人公は、友達の元カノで自分の勤めている学校の生徒が自分を誘惑していると勘違いをし、それが原因で数々のトラブルが引き起こされていく。

 友達というのは同じ学校の教師だった妻子持ちの男で、前述の女子高生と“不適切な関係”(つまりセックスしたってこと)が原因となって教員をクビになった男だ。

 この映画の起点は主人公の教師が自分自身の中にある、女子生徒とセックスしたいという気持ちを、受け入れることができなかったことにある。自分の本音を無意識の中に閉じ込めてしまうのだ。
これは精神分析でいう「投影」という現象で、「自分自身の中にある受け入れがたい不快な感情を、自分以外の他者が持っていると知覚する」というもの。この時本人は無意識の中の自分の情動を自分が思っていることとは思わなくなっている。

 つまり、女学生を性的なものと感知した主人公である高校教師の心の中に「女子高生とセックスする」という受け入れがたい感情が沸き上がって、それをいけないことと感じている自分の心の葛藤を主人公はうまく処理することができない。

 映画の中で自分の気持ちに正直に向き合うことができずに七転八倒する主人公の姿は、観ていて痛々しいものがある。自分の中にある性の欲動をうまく受け入れることができずに、不安定な状態に陥ってしまう。精神病者の図式がここに見られる。

 主人公は自分の性的欲求をうまく受け入れることができずに、どんどん自分で自分の行動をこじらせてしまう。

 主人公は友達の高校教師のように女子高生と不倫するしかなかったのか?主人公は自分の性欲を素直に受け入れることが可能ではなかったのか?性欲を素直に受け入れることにより自らの「投影」を解消することはできなかったのか?

 別に主人公が不倫をすればよかったと言いたいわけではない。ただ主人公が自分の中にある気持ちを素直に認めることができれば良かったとは思う。「あぁ、俺の中には妻以外の女性を求める気持ちがあるんだな」という肯定があれば、主人公は身を滅ぼさずに済んだのではないのだろうか?

 自分の中にある性欲を認めるのと、不倫をすることは別である。こういった場合、多くのケースでは不倫まで発展せずに、自分の気持ちと向き合うだけで事なきを得るのではないのだろうか?(中には誤って不倫に走ってしまう不幸者(?)もいるかもしれないが…)

 自分の中にある欲動と素直に向き合うことができなければ、それはそれで大変誤ったことになってしまうのではないのだろうか?この映画を観ていてふと思った。