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貧困の脱出の策としての音楽と、音楽による一体化

 映画「ジャジー・ボーイズ(原題:Sersey Boys)」を観た。

 この映画はアメリカのニュージャージー州ペルヴィル出身の4人組ポップ・ロック・グループ「フォー・シーズンズ」の伝記映画である。又、この映画の制作される前に、ミュージカル「ジャジー・ボーイズ」が公演され、トニー賞を獲得している。

 本作はミュージカル「ジャジー・ボーイズ」がクリント・イーストウッド監督により映画化されたものである。

 フォー・シーズンズはリード・ヴォーカルのフランク・ヴァリ、テナー・ヴォーカルでキーボード奏者のボブ・ゴーディオ、バリトン・ヴォーカルでリード・ギターのトミー・デヴィート、バス・ヴォーカルでベース・ギターのニック・マッシの4人から成る、ヴォーカル・グループでもあり、バンドでもあるグループである。

 映画の前半でリード・ギターのトニー・デヴィートがこう言う。「将来は軍隊に入るか、それともマフィアか、それとも有名になるしか食べていく道はない」と。

 フォー・シーズンズのフランキー、トミー、ニックは貧困という過酷な環境の中で少年期を過ごしている。貧困の中で若者ができることは何か?彼らの場合は、マフィアと付き合い、窃盗を働き、音楽をプレイすることだった。

 映画のタイトルの「ジャジー・ボーイズ」とはニュー・ジャージー出身の少年たちと言う意味だろう。ここでニュー・ジャージーの少年とは何を指しているのか?それはきっと貧しい少年たちという意味だろう(実際にニュー・ジャージー州は経済格差があり、治安も悪化していた様子。ジャジー・ボーイズとは経済格差の下の方にいる少年たちを指すのであろう)。

 バンドというととても生命が短いものだという印象があるのではないだろうか?バンドの人間関係が原因で解散という話なんてそこらじゅうにゴロゴロしている。フォー・シーズンズも実際に解散の危機に陥っている。それは、メンバーの借金だったり、不仲が原因というものだ。

 フォー・シーズンズは長いあいだ活動をしているが、今バンドに残っているオリジナル・メンバーはフランキー・ヴァリのみである。このことは、いかにバンドが仲良く過ごしていくのが難しいかを示しているようである。

 この映画を観るにはある前提がいる。それは、映画を観る人が音楽グループに、音楽に憧憬を持っていることである。音楽に憧れを持っていない人がこの映画を観ても、なんでこの4人が音楽にこれほど熱狂しているのか意味不明であろう。

 この映画を成り立たせているのは、人々の音楽に対する憧れである。人々の音楽に対する憧れ。それは宗教に近いものがあるのではないだろうか?宗教では信者が聖典を胸に抱き、理想(この理想とは神秘的体験そのもののこともある)の元に人びとが一体となるのだが、音楽の場合も人々が、バンドの曲、バンドの経歴、崇高な体験を胸に抱きそれを共有することで一体になっている。

 音楽とは”我々”という一体感を生産する装置ではないのだろうか?映画の中でメンバーがこう言う。「ジャジーは仲間を裏切らない」。フォー・シーズンズは継続してオリジナル・メンバーが一緒にいることはできなかったが、フォー・シーズンズは今でも連帯を作り出している。