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無計画に真理に近づく

 映画「ヤバい経済学(原題:Freakonomics)」を観た。この映画は、ジャーナリスト、スティーヴン・ダブナーと経済学者スティーヴン・レヴィットによる共著「ヤバい経済学」を元に作られた映画である(本は400万部売れたそう)。

 この映画で一貫しているテーマは「インセンティブ」である。インセンティブとは“やりがい”や“成功報酬”を指す言葉であると説明される。

 この映画では題材として様々なものが取り上げられる。人の名前とその人の人生、学校の成績を上げるため教師による回答の改ざん、日本企業の八百長世界金融危機、日本の警察の96パーセントという高い検挙率の嘘、ポリオとアイスクリーム、犯罪の減少と中絶、高校生の成績の上昇のために成績上昇による50ドルの賞金というシステム。

 特に目を引いたのは相撲界の八百長である。相撲界の八百長の仕組みはこうだ。相撲は8勝すると番付が上がる。つまり昇進できる。給料が上がる。よってみんな8勝したい。相撲業界は村社会であり人間関係も親密である(善し悪しは当然ある)。8勝を決めてしまった力士は、負けていて8勝まで手が届かない力士、もう少しで8勝できる力士に同情から勝ちを相手に譲る。勝ちを譲って貰った力士は、次その相手と対戦した時に負けてあげるという仕組みである。

 これを聞いた日本人の大半は驚いて、同時に怒ったわけだが、元々この八百長は相撲を見る人の間では常識であった。しかし、次第に八百長は相撲界の隠すべき事実、タブーとなった。

 日本人は、昔、相撲は真剣勝負であるという“立て前”と実はズルがあるよという“本音”を共有していたのだが、時が経つに従ってこの本音と立て前が通用しなくなったのだ。

 相撲が八百長であると聞いた日本国民は怒った。その怒りを相撲協会は恐れたであろう。相撲の八百長を告発した人物は謎の死を遂げ、その死体は司法解剖されなかったという。

 この相撲の例の場合、インセンティブ(やりがい、報酬)は八百長のために働いていることになる。悪しきインセンティブとでも言えばいいのだろうか?

 相撲の八百長は、相撲の世界全体が潤う仕組みでもあったという。しかし、いつの間にか八百長という本音は通用しなくなってしまったということだろう(本音が消えた)。

 映画の最後に経済学者スティーヴン・レヴィットは言う。レヴィットにとってのインセンティブとは正直さのことであると。正直さは周りからの信用を得ることができる。逆に信用を落とす行為は、特定の誰かに肩入れすることであると。

 正直であるとはどういうことなのだろうか?正直さ、それは映画の中の言葉で言えば「無計画に真実を追う」ことなのだろう。では、無計画に真実を追うとはどういうことか?計画的に真実を追うこととそれはどのように違うのか?無計画に真実を追うとは、計画的に真実を追うことに対するアンチテーゼなのであろう。計画つまり人間の理性を信用してはいけない。計画に則って行動するよりも時として、無計画に生きたほうが真理に近づくこともある。そう言いたいのであろうか?真実に近づけるなら無計画でも計画的でも同じではないのか?考えてみたい。

 

※正直さとは無計画さであると言えるか?ここで、正直さとは無計画さであるとする。正直さとは、無計画さであり、人間のありのままの姿であるとする。人間のありのままの姿に近い真理を探る姿勢が、正直さ、無計画さであるといえる。ならば無理に理性的に全てをコントロールしようとして計画的に生きてみる、つまり人間性に反する行為で真理に迫ってもそこでは人間性は無理を強いられることになる。その無理が悲惨な結果をもたらすことになる。だから無理して計画的に生きて悲惨に生きるよりも、ありのままに無計画に生きたほうがいいのではないか?この映画はそう語る。

 

※無計画に真理に近づくのである。無計画にデタラメを目指しているのではない。