自立、評価、変えるべき常識の変革

 映画「ネイバーズ(原題:Bad Neighbors)」を観た。

 舞台はアメリカの住宅街。住宅街の一戸建ての家に赤ちゃん連れの夫婦が引っ越して来る。夫婦は「隣人がゲイのカップルなら理想的だ」などと話していると、なんと隣の家に住み始めたのは大学のフラタニティ(男子学生社交団)だった。

 フラタニティとは、様々な社会的機能を持つ友愛の連帯組織を指す言葉である。この言葉は北米では、学生の友愛団体を示す言葉になっている。学生の間だけ、仲間を募ってグループを作り、共同生活をする。時は家族のように、友達よりも強い絆で結ばれた仲間たち。

 さてそんな仲間で何をするのかといえば、毎夜、毎夜の乱痴気パーティーである。酒、ドラッグ、セックスで溢れかえる若さの至り的な、快楽の開放である。

 しかし常識的に考えてわかる通りに、そんなドンチャン騒ぎを隣で毎晩されて、子育てなど不可能である。夜寝ようとしても、隣から騒ぐ声や音楽が聞こえてくるのである。たまったものではない。

 よってこの映画の赤ちゃんを抱える夫婦も隣人のフラタニティに苦情を言う。最初は好意的に思われようとして、夫婦はフラタニティの会長に話しかけており、会長もそれに応じているが、夫婦がある日苦情の電話を警察にかけたことをきっかけに事態は悪化していく。

 夫婦は彼ら(特にフラタニティの会長)に警察には通報しないからと約束をしていたのにその約束を夫婦が破ったからだ。夫婦とフラタニティの会長とのバトルは、夫婦がフラタニティを潰そうとしようとする企みとして描かれる。

 夫婦は他の隣人たちを自分たちの仲間につけようとするが、フラタニティのメンバーは他のご近所には親切にしており、夫婦だけが目の敵にされている。

 しかし、約束を破ったからといって何故この赤ちゃん持ち夫婦だけが標的にされるのか?この映画の中ではこう言われている。

 ある日、隣人の夫婦が気に入らないフラタニティの会長は、フラタニティの家の中で野球のバットを抱えて椅子に座って「あいつらが気に入らない」と言っている。それに対して現実派のフラタニティのナンバーツーである現実派の副会長がこう言う。

 「お前は普段から“伝説になりたい”とか言って焦っているけど、それはあの夫婦みたいになりたくないからだろ?お前は人から評価されるのが怖いんだろ?あの夫婦みたいに”平凡な”夫婦とレッテルを貼られるのが怖いんだろ?」と。

 フラタニティの会長はそれを認めようとはしないが、その後この言い合いが原因で喧嘩となった副会長とも仲直りし、会長が就労するという形で物語は終わる。フラタニティの会長は、夫婦に対する八つ当たりを止めて、自立への一歩を踏み出す。そこに“平凡な大人たち”と対抗した精神は残っているのだろうか?守るべき常識もあるが、変えるべき常識も存在するのだから。