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「内なるものを明かせば救われる、さもなくばわが身を滅ぼす」

 映画「フロム・イーブル~バチカンを震撼させた悪魔の神父~(原題:Deliver Us From Evil)」を観た。この映画はオリバー・オクレディ(オーリー神父)の行った性的虐待を、その被害者とオクレディと教会の3つの側面から描いたドキュメンタリー作品である。

 オクレディが行っていたのは小さな子供(生後9ヶ月ぐらいから12歳頃?)への性的虐待である。性的虐待の子供への心的ダメージはとても大きく、大人になってからでも性的虐待を受けた過去を思い出すと、人々は吐き気をもよおしたり、泣き出したりする。

 この映画に登場するのはオクレディに性的虐待を受けていた3人の男女だけであるが、実際の性的虐待を受けた被害者はもっと多いと言われている。

 性的虐待はその当時者が受ける肉体的、精神的ダメージやその家族が受ける精神的ダメージを考えても、非常に悪質な犯罪と言える。それを教会の神父が行っていたのであるから当事者やその家族たちの心のダメージはさらに大きいだろう。

 オクレディはカトリック教会の神父だったのだが、問題は彼の性的虐待だけでなく、オクレディが性的虐待を行った事実を認めようとはしない教会の側にもある。

 オクレディの性的虐待事件は1973年頃から度々発覚しているのだが、その都度教会はおクレディを教会から教会への移動の処分を下すだけで、被害者に謝罪することもしない。カトリック教会の神父が起こした、性的虐待という事実を隠蔽しようとするのだ。

 オクレディより上位に位置する教会関係者(ギルフォイル司教、マホーニー枢機卿、ケイン司教、ベネディクト16世)は自身の保身のことを考えて、オクレディの性的虐待の事実を認めて謝罪することをしない。

 カトリックの信者の間では教会が唯一の救いであるという。それを幼少の頃から教えられる。だとすると性的虐待を受けたカトリック信者たちの立場は非常に辛い。彼ら、彼女たちの救いは教会にしかありえないのだから、教会から性的虐待の事実を無かったことにすると言われても、自分たちはカトリックの神を拝んでいるのだから、その教会から敵視、疎外されているようで彼ら彼女たちはとても辛いはずである。自分が信じている神から見放されているようなものなのだから。

 性的虐待をしているのはオクレディだけだったのか?否違う。オグレディ自身も性的虐待を受けた当事者だったからだ。彼は幼少の頃に自身の兄と神学校の神父(?)から性的虐待を受けている。

 カトリックの神学校は性的虐待の巣窟であると言われている。カトリックの神父、司祭たちが性的虐待の首謀者であるのだ。

 アメリカでは性的虐待を受けたと表明している人が10万人いるそうだが、性的虐待を受けた人の8割は性的虐待を受けた事実を隠していると言われている。つまり性的虐待を受けたと言っている10万人は氷山の一角に過ぎないのである(性的虐待を表明している人が2割で10万人なら、隠している8割は40万人である。ということは性的虐待の被害者はアメリカだけでも50万人はいるということになる)。

 聖職者が性的虐待をするというのは非常に酷い話である。なぜなら聖職者はやりたい放題だから。人々は聖職者となると完全に気を許してしまう。自身の地位を利用した悪質なハラスメントである。

 オクレディは幼少の頃に虐待を受けていたが、そうした人は自身が虐待を受けた年頃の子供たちを性的虐待のターゲットにするのだという。もし神学校で性的虐待が常習化されていたら、その被害は水面に落ちた雫の波形のように広がっていくに違いない。

 

※本文タイトルは外典:トマスの福音書からのイエス・キリストの言葉