結婚とは何か?愛とは何か?

 映画「物語る私たち(原題:Stories We Tell)」を観た。

 この映画はカナダの女優サラ・ポーリーを巡る物語である。この映画は主にサラ・ポーリーの実の父親は誰か?ということについて展開し、実の父がわかった後には、父とは何か?についても触れられる。

 この映画の登場人物はサラの血縁者が主であり、その脇にサラの母親ダイアンの友達が出てくる。サラの母親であるダイアンは、生まれてから死ぬまでの間に合計3人の男性との間に子供をつくることになる。

 一人目の旦那はジョージ。ダイアンはジョージとの間に2人の子供(ジョン、スージー)をもうける。二人目の旦那はマイケル・ポーリー。ダイアンはマイケルとの間に2人の子供(ジョアンナ、マーク)をもうける。三人目の男は愛人である。ダイアンは愛人であるハリー・ガルキンの間に1人の子供(サラ・ポーリー)をもうける。

 三人目の男ハリーとの間の子供サラの育ての親は二人目の旦那のマイケルである。アイアンは一人目の旦那ジョージと離婚、その後マイケルと結婚して、そのまま離婚せずに、愛人ハリーとの子供であるサラをマイケルと共に育てた。この映画はその事実を(先に紹介した)複数の登場人物の証言に従って、またその証言を編集することによって出来上がっている。

 映画の冒頭に、カナダの女流作家マーガレット・アトウッドの「またの名をグレイス」という小説からの引用がある。それはこんな引用である。「あとになりやっと物語と呼べるようになる。自分あるいは誰かが語っている時に」この映画は、この引用が指すように、語りによって成り立っている物語である。

 映画の中に、サラの生物学上の父ハリーと、育ての親マイケルのこの一連の事実に対する語りがある。ハリーはこの事実をダイアンという女性を中心として描き出版したいとサラに言う。マイケルは様々な人からインタビューをとり、それを特定の指揮者の元で映画にすべきだと語る。

 サラはこの映画を作ることで、どちらの要望にも答えているようである。映画を通じて複数の人々のインタビューが出てくるし、映画の前半は母ダイアンを中心として物語が語られているからである。

 この映画は主観的見方(ハリーの方法)と客観的見方(マイケルの見方)の両方で成り立っているのではないのだろうか?(しかし突き詰めて言えば全ては主観なのだが…なぜなら物語を語っているのは人間なのだから)

 この映画の中でサラ・ポーリーの世界観を揺るがすようなことが起こる。それは自身の出生の秘密を公衆の目に晒す(この事実を記述する)という出来事である。彼女はこの事実にひどく動揺する。それは事実を知った育ての親マイケルが怒るのではないか?もしかしたらもっと悲劇的なことが待っているかもしれないからだ。

 しかし、事実を知ったマイケルはその後もサラを娘として愛することを約束する。マイケルはこう言う。「その過去はほんの一部にすぎないんだ」と。

 事実(サラがダイアンと愛人ハリーとの間の子供だった)が公の目に晒されたサラ・ポーリーは、そしてその事実の周辺の人々は、そしてもっと言えば映画を観る我々も、今までの日常からの変化を感じる。

 映画の中でマイケルはこう語る。ダイアンが浮気してその後もその浮気相手(愛人)と付き合っている最中、ダイアンはマイケルとも新婚の時のように愛しあっていたのだと。ダイアンは従来の結婚の枠にはまりきらなかった女性ではないかと。

 ハリーはこう言う。ダイアンは私といる時も愛に満ちていたのだと。この映画はダイアンの生き方とそれが彼女が周囲に与えた影響を物語っている。我々は着実に少しづつ変化しているのだと。

 そして、ダイアンの生き方は様々な人たちの話により物語になっている。