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支配からの覚醒

 映画「ジュピター(原題:Jupiter Ascending)」を劇場で観た。

 映画のタイトル「Jupiter Ascending(直訳:ジュピター上昇)」のJupiter(ジュピター)とは、木星ことでもあり、また神話の中で神々の神として語られる天空神、雷神ゼウスのことである(ジュピターはゼウスの英語名)。もともとはジュピターとは男神を指す言葉であるが、この映画では女王の名として登場してくる。

 地球で暮らしている主人公ジュピター(女)は、いくつかの家族と共同でアメリカ(?)に住んでいる。両親はロシア人であり、父親は彼女が母親のお腹の中にいる時に、父親の趣味である大好きな天体観測をしている時に強盗に殺される。ジュピターという名を彼女につけてくれたのは父である。

 この映画の中ではジュピターたち人間は、神のような創造主(地球人からいうと宇宙人)により造られたものであり、宇宙を支配する神のような“人間たち(地球人は人間ではなく宇宙人こそ人間で、地球人はその模造種)”によりいずれは収穫される(殺される)運命にあった。

 宇宙を支配する種族の三兄妹は、自分たちの生産している地球に自分たちの母親と同じDNA持つ、母の生まれ変わりを見つける。それがジュピターである。

 彼らは特に三兄妹の長男はジュピターの存在を疎ましく思い、彼女を殺そうとするために、彼女を地球もろとも滅ぼそうとする(地球上のすべてのものは彼らの創造物とされている。例えば蜂も彼らの創造物である)。

 しかしジュピターに味方するものたち(三兄妹たちに支配されている地球外生命体)も現れて、彼女は味方する者たちと一緒になって、支配者を壊滅させる。

 この映画の監督は映画「マトリックス」を撮ったウォシャウスキー姉弟であり、映画「マトリックス」との共通点もいくつかある。類似点としては、人類以外のものによって知らぬ間に支配されているところ、人類が支配者の生存のためのエネルギー源になっているところ、人類と彼らは対立しているというところである。

 違いとしては、「ジュピター」では人類は収穫される(殺される)運命にあるが、「マトリックス」では人間は支配者のエネルギー供給のために生かされ続ける運命であるというところである(ジュピターでも支配者は創造主であるため人間を再度生み出すことができる。その時“個性”のようなものまでも再生産されてしまうのか?(余談))。

 また、もう一つの違いとして「マトリックス」では人類の覚醒を主人公たちは求めるが、ジュピターでは人類が人造物で、支配されていることに未覚醒であることを主人公たちは暴こうとはしない。

 映画の終盤で、長男がなぜ人類を、ジュピターを殺そうとしたかが明らかになる。彼はこう言う。「私の母親は人類たちを愛するようになった。母が自分以外のものを愛するのが気に入らないから、母親も、お前たちも皆死ね!!」と。

 ここには、三兄妹たちの長男の歪んだエディプス・コンプレックスのようなものがみえる(エディプス・コンプレックスとは、幼児期に男の子が母親に好意を抱き、女の子が父親に好意を抱くというもの)。三兄妹の長男は、母への愛情のコントロールが効かなくなって、倒錯した状態にある。映画のラストで長男はジュピターの手により葬られる。

 人類が支配されていて、そのことに人類は自覚がなく、少数の人々がその支配から人間を開放しようとするのが「マトリックス」という映画の筋であった。「ジュピター」でも支配者の手から主人公が地球を救う。

 しかし両者の間には違いがある。「マトリックス」は支配されていることに自覚的になり、支配からの転換を求めるが、「ジュピター」では支配者が入れ替わるだけで、人類は自分たちの現状に覚醒はしない。

 「ジュピター」では古い価値観から、新しい価値観(被造物にも生きる権利はある!!)への変化はみられるが、人類が覚醒する様子はない。これが両者の大きな違いである。

 

※クローンにも人権はある!!

※全人類の中で全人類共通の項目つまり、同じ項目について、価値観が変化すればその価値観の支配は終わる。つまり支配者は「変化した全人類共通の項目」の内容によっては支配者自身のコントロールの力を無力化されるのである。