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規範からの解放、そして規範の再構築

 映画「あの頃ペニー・レインと(原題:Almost Famous)」を観た。

 映画の舞台は70年代頃のアメリカだ。主人公の少年は、姉の影響でロック・ミュージックを聞くようになる。そしていつの間にやら音楽雑誌を読むだけではなく、音楽について書くことを望むようになる。

 そして、ある日主人公はレスター・バンクスという音楽雑誌のライターに出会い、“ブラック・サバス”について書けば35ドルやると言われる。そしてブラック・サバスのコンサートの会場の関係者出入り口に立つが、主人公が記事を書くとの報告は無いと、門前払いされてしまう。

 しかし、そんな彼の前に「グルーピー」と前座バンドの「スティル・ウォーター」が現れて、主人公を会場に入れてくれる。そして彼はロック・バンド、スティル・ウォーターとグルーピーたちとバンド・ツアーを過ごすことになる。

 バンドの連中は、雑誌記者(ライター)を天敵だと思っている。雑誌に主人公がバンドの酷評を書けば、一気にバンドの人気は急落するからだ。都合のよい事実を書かれるのはいいが、自分たちにとって都合の悪い情報は流通させたくない。

 この対立は映画中ずっと続いて、映画の終わりにバンド・リーダーと主人公(ライター)との和解という形で終わる。バンド・リーダーが彼の書いた記事は、全て事実だと認めるという形でだ。

バンド・リーダーが、バンドにとって都合が悪い事実を受け入れると認めたのだ。ここにバンド・リーダーの人としての成長がみられる。

バンドと言って思い浮かぶのは、ロック・バンドとファンの関係である。それはまるで神(バンド)に群がる人間たちである。バンドのファンはバンドに熱狂する。その姿はまるで、神にとり憑かれている信仰者たちの姿である。

映画の中でバンド・リーダー(ラッセル)が民家の屋根に上ってこう叫ぶシーンがある。「俺は黄金の神だ!!」民家の屋根の下にはプールがある。主人公(ライター)が飛び込むのを止めるように説得すると、バンドのリーダーはその場を去ろうとする。すると、それを眺めていたバンドのファンらしき群衆のうちの一人が叫ぶ。「とびこめ!!」するとバンドのリーダーはプールにとびこむ。

一体どちらが神なのだろうか?バンドかその観客たち(グルーピーを含む)か?

音楽は人を自由にするか?答えはイエスだろう。この映画の中で音楽を聞いた主人公たちが過去のいざこざから開放されるシーンがある。皆がエルトン・ジョンの曲を歌い、そこでそれぞれの中にあった葛藤が浄化される。それぞれの中にあった規範が崩れて新しい規範(彼ら)が誕生する。

彼らを解放するのは音楽だけではない。自然も彼らを解放する。飛行機に乗っている彼らを嵐が襲う。彼らは死を感じながら、お互いに自らの中にある本音を晒し合う。そして彼らはここでも、しがらみから解放される。

音楽が自然が人間の心を解放して、人は新しい規範を再構築するのだ。

 

※ライターはバンドに熱狂していない。「とびこめ」とは叫ばない。バンドのメンバーを神と崇めてはいないのだ。

※信者がいるから神は成り立つ、とも言える。

※この映画では、資本主義と宗教とロックが重なっている。