それぞれの価値観

 映画「コンタクト(原題:Contact)」を観た。

この映画はいわゆるサイエンス・フィクション(SF)で、人類と人類以外の高度な知的生命体との接触(コンタクト)を描いている。タイトルのコンタクト(Contact)の意味には、接点装置という意味もある。

この映画のタイトル通りに映画の中には、宇宙人から送られてきた設計図による、宇宙人との接触のための装置(かなり大きなもの)が登場する。この装置に乗って主人公は、宇宙人からの通信の発信点である、惑星ヴェガに移動する。

装置の内部では惑星ヴェガに移動したように見えたのだが、その装置の周囲にいる人々には、彼女の乗ったコクピットが落下したようにしか見えないのだが…。

主人公は女性科学者であり科学を信じている実証主義者(ジョディ・フォスター)である。そしてその主人公の恋人である男は、政府お抱えの神学者(マシュー・マコノフィー)である。お互いに科学と神をそれぞれ信じている。

映画の中でこのようなシーンがある。宇宙人と接触する宇宙飛行士を選出する場面である。神を信じている恋人の男(選定者)は、科学を信じている彼女(選ばれようとしている人)に質問をする。

「あなたは神を信じていますか?」すると彼女はこう答える。「データで証明できないものは信じない」と。これは実質的に神を信じないと言っているのと同じである。

彼女と彼はこのまま離れていってしまうかのように思われるが、彼女の宇宙人と宇宙人との接触体験後、彼は「宗教も科学も真理を求めているところでは同じだ」というような発言をし、その発言の後に彼女は彼の手を取る。和解である。

しかしここで我々は思う。『真理など本当にあるのか?』と。映画のラストで電子レーダーを見学に来ている子供たちに尋ねられる。子供「宇宙人はいるの?」、彼女「どう思うの?」子供「わからない」、彼女「その通りよ」。彼女は言う「大切なのは自分で答えを見つけることなのだ」と。

これは様々な価値観の並存可能性を認める、多様性に開かれた答えだと感じる。宇宙人という謎めいた存在は存在するのか?しないのか?その答えは人々の数だけ存在するのだ。つまり、こうと決められた普遍的真理など存在しないと彼女は言っているのだ。

映画の途中やラストシーンに彼女が渓谷の端に座って自然を感じているシーンがある。このシーンには、ロマン主義を唱えたロマン主義者たちの存在が感じられる。この世には人間の知性や理性では覆うことのできないものがあって、ただ人間はそれを直観するしかないのだという考え方だ。

ラストシーンで彼女はただ掌にある砂を見つめている。彼女はただ自然(宇宙)を感じているのだ。彼女の答えはこうだ。普遍的な万人共通の真理など存在しない。あるのは人それぞれが主観的に持っている考えだけなのだと。万人が万人の真理を認めること。そうしないと闘争が始まってしまう。